大腸がんを生きる仲間

大腸がんと生きる仲間たち

世間的には、まだ「がん=死」のイメージが根強く残っているようですが、実際には、大腸がんを克服し、充実した日々を送られている患者さんが、たくさんおられます。「大腸がんの仲間たち」は、そのような患者さんの体験を聞かせていただき、悩みや苦しみを共有しながら、前向きに病気に立ちむかうことをお手伝いしていくコーナーです。

Vol.01 No.1 東京都 安田陽一さ(46歳)と奥様

大腸がんとわかって、知らないことがとても不安だったので、すぐに書店に行き、棚にあった大腸がんの本を片っ端からすべて購入しました。インターネットでも情報を調べました。自分で勉強し、手術方法も納得した上で臨みました。


今回は、上行結腸がんを克服し、妻と二人の子供さんとの生活を取り戻された安田洋一さんと奥様に、大腸がんの告知、手術と抗がん剤治療、そして3年を経過した現在の活動について、お話をうかがいました。同じ病気の仲間が社会的難民にならないための活動をやりたい、「がん=死」のイメージも払拭してゆきたいという熱い思いをお持ちの安田さんには、実名でのインタビューを引き受けていただきました。その内容を2回に分けてお送りします。

安田陽一さん Profile
1961年、東京生まれ。自営業。家族は妻と小3、小1の男の子。
2004年12月、東京災害医療センターで上行結腸がん(ステージIII)を手術。NPO法人「がん患者団体支援機構」の理事、NPO法人「ブーゲンビリア」の事務局スタッフを務める傍ら、大腸がん患者会の設立に向けて活動中。



症状発現、告知から入院まで

●嘔吐、右脇腹・胃の激痛、多汗などの症状が発現

――いつ頃から、どのような症状が現れたのでしょうか。

安田さん上行結腸がんが見つかったのが2004年9月、手術をしたのが12月ですが、今から思えば、その年の2月頃から体調はおかしかったような気がします。深酒をすると嘔吐するようになり、また、右脇腹や胃全体に激痛が走るようになっていました。近医での胃カメラ検査では、胃がただれているといわれ、その時は胃薬を処方されました。当時はお酒も煙草も普通の人より多かったので、嘔吐しても飲み過ぎのせい、二日酔いのせいだと考えていましたので、さほど気には留めていませんでした。その後、再び深酒をした際に、やはり腹痛などで調子が悪くなり2度目の胃カメラを飲みましたが、今度は胃酸が多いのではないかということで制酸剤を処方されました。
 4月には、何もしないのに汗がとめどなく出るようになり、激痛が再び現れました。このあたりで大腸内視鏡検査を勧められましたが、子供の病気などが重なって受けられず、9月になって、やっと内視鏡検査を受けました。

●「うわー、大きい」でがんを察知

――告知の状況を教えていただけますか。

安田さん大腸の内視鏡検査で、お尻に管を入れられながら、モニターをみていたのですが、先生が「うわー、大きいな」と声をあげました。先生のその率直な声を聞いた瞬間、それが「がん」だということを直感しました。イチジクの花を潰したような腫瘍が上行結腸をほぼ閉塞しており、内視鏡がその奥に進めない状態でした。先生に「42歳と若いから、切った方がいい」といわれ、がんに対しての知識がなかったもので、その場で切ってもらえる程度のものだと思っていましたので「では、お願いします」と答えました。ほんとうに、知識不足でしたね。
 検査終了後、検体を調べるまでもなく、100%がんであると告げられました。検査時に察知していましたのが、改めて告知されると、「死ぬかもしれない」、「子供たちの成長を見届けられないかもしれない」という思いが強くなり、涙が溢れました。
 がんであること、手術が必要なことを、その晩、妻に伝えました。

――奥様のその時のお気持ちをお聞かせいただけますか。

奥様変に思われるかもしれませんが、「あ、そう」という感じでした。私は以前看護師をしていましたので、家族も呼ばないで、その場で告知されたということは、同じがんでも直る可能性が高く本人に直接伝えても影響のない程度のものではないのかな? と思っておりました。

安田さん正直なところ精神的に辛かっただろうと思いますが、そんなそぶりを微塵もみせない妻が、私のかみさんでよかったなと思っています。

●本とインターネットで情報入手

――大腸がんとわかってから、どうされましたか。

安田さんすぐに書店に行き、棚にあった大腸がんの本を片っ端からすべて購入しました。もちろんインターネットでも情報を調べました。敵を知らないということはとても不安になりますからね。
 そのうえ、がんで死ぬのも怖かったのですが、腸閉塞が心配でした。漠然と「腸閉塞によりもがき苦しむ事への恐怖感」がありました。先生からはその心配はないといわれた時は、ほんとうに安心しました。
 ネットでは、自分と同じような方の闘病記を探しては読み漁りました。また、専門的なサイトで手術の術式なども調べ、手術の説明を受ける際にそれを持参して、チェックしながら聞いていました。結構勉強しましたので、手術に対する不安はなくなっていました。それから、国立がんセンターで手術することも考えましたが、どこで手術しても同じ術式であることがネットで調べてわかっていましたので、近くの東京災害医療センターで受けることにしました。

●同じ部屋の患者と励ましあって

――入院治療はいかがでしたか。


11月18日 病院内を移動中
安田さん2004年11月16日、大部屋に入院。禁食となり、輸液の点滴治療を始めました。食物が上行結腸の閉塞部を通らないためだと思いますが、禁食後、痛みは数日で消えました。痛みが消えてからはパソコンを使ったり、外出許可を得たりして、仕事をしていました。入院前は個室の方がいいと思っていましたが、大部屋だと同じ病室の患者さんと話すことができ、気が紛れたので、大部屋でよかったなと思っています。


11月18日 病室にて
奥様主人は大腸がんになった時、自分がどん底にいると感じているようでした。私は看護師時代にたくさんの患者さんと接していましたので、「あなたは、どん底じゃないよ」と励ましていたのですが、主人の耳には届いていないようでした。ところが、入院した部屋のがん患者さんが、自慢話のようにがんの話をするのを聞いて、主人は「切れば治る自分は、どん底でもないな」と思えるようになったようです。

安田さん同室の患者さんは、手術の傷口をみせてくれて、「安田さんは大丈夫だよ、若いから」と励ましてくれました。特に救われたのは、「何かあれば、また切ればいい」という言葉でした。「大丈夫、切るところがなくなる頃には死んでいるから」とも(笑)。同室の皆さんには励まされましたね。
 また、自宅から近い病院にしたせいもあり、ほぼ毎日のように妻が自転車、子供たちが三輪車に乗って見舞いに来る夕方は自然と元気が出、特に子供達との会話は楽しく、生きる勇気を貰い、癒されました。

●遺言をフロッピーに入れ、友人に託す

――治療以外に心配なことはありましたか。


12月1日 手術前日
安田さんやはり治療費や経済的なことが心配でした。がん保険に入っていなかったことを悔やんだこともあります。
 手術の1日前に、自分が死んだ場合に備えての遺言をほとんど一睡もせずに書きあげました。経済的なことに関しては、両親のお陰もあり妻子を路頭に迷わせないようにできたと思っていますが、ただ、子供の行く末を見届けられないのが残念だと書きました。いろいろな光景が次から次へと浮かんできて、まだこんなに泣ける力があるのか、と自分でも驚くほど涙があとからあとから出てきました。
 幸いなことに、フロッピーに入れて友人に託したその遺言を、家族は読んでいません。
 もちろん、僕が生きていますから。


Vol.1