大腸がんを生きる仲間

大腸がんと生きる仲間たち

64歳とは思えない、若々しく颯爽とした歩調で、にこやかにインタビューの場に入ってこられた山田さん。同じくとても若々しく美しい奥様が、控え目にドアを閉じられました。
お二人とも、長く自動車関連の会社に勤められ、山田さんは2年前に、がんの全身治療が始まったのを機に退職なさいました。趣味のゴルフは、今や「日課」のようになっているとか。息子さんご夫婦、お孫さん2人との3世代+犬一匹の大家族で、仲良く暮らしておられます。
大腸がんから肝臓とリンパ節への転移、さらに肝臓への再転移と、5年にわたる闘病生活で、3度の手術を経験なさった山田さんに、がんとともに生きた日々のお話を伺いました。

Vol.03 山田 衛さん(64歳)[仮名]と奥様

「余命2年」の宣告。自暴自棄になって生きても、きっと心は満たされない。ならば、限れられた時間の中で生きることにベストを尽くそうと思いました。だから病気が寄りつかなかったんじゃないでしょうか。


大腸がんからリンパ節、そして肝臓がんへ

●「黙っていても85歳まで生きる」と言われた自分が…

――最初にがんとわかったのは?

山田さん私は50歳ころから年に1回人間ドックを受けていたのですが、ずっと異常はなく、2004年4月、58歳の時の検診で、初めて「大腸の精密検査を要する」という結果が出たので調べてみたら、“S字結腸がん”だということがわかったんです。その時既に、5段階のうちの4段階あたりまできていて、もう少しで手術ができなくなるぎりぎりのところで、手術して人工肛門にするしかないと言われました。 それまで身体はいたって丈夫で、会社の体力測定などでは「プロスポーツ選手級」「黙っていても85歳まで生きる」などと言われ、健康には自信があっただけに、「まさか」という思いでした。

――気になる症状などはなかったのですか?

山田さん1年くらい前に血便が一度出たのですが、若い頃から痔があったので、気にしていませんでした。また、同じ時期くらいから、それまで1日1回きちんとあった排便が1日2回になっていたのですが、「年をとって腸の動きも鈍くなってるのかなあ」と、自分で自分を診断してしまっていました。症状といっても思い当たるのはその程度しかなくて、それほどに病気が進んでいるとは、思いもしませんでした。

●ぐずぐずするのは嫌いだから。

――告知は、やはりショックだったでしょうね。

山田さん重大な病気が目の前に突然現れると、やはりね。ただ、検査のとき、他の人たちは食事があるのに私だけがなくて、「あなただけ別の検査があるので…」と言われ、そのとき直感したんですよ、「がんかもしれないな」と。だから、結果を聞くときにはもう、心の準備はできていました。その場で「手術のできる一番早い日に決めてください」と先生にお願いしました。

奥様結果を聞く日、私と息子夫婦、娘夫婦が同席したのですが、私たちがショックを受けるより早く、本人がその場で先生と相談しながら、入院や手術などいろいろな手続きを即決してしまいました。こんな性格で、楽だと言えば楽なんですけどね…(笑)

山田さんぐずぐずするのは嫌いだからね。がんは転移が一番怖いというのも知っておりましたし。 ただ、人工肛門になると言われた時は、「なんとか残してくれませんか」と言いました。ところが、先生から「命が大事か、肛門が大事か」と言われてしまい、そりゃまあ、命をとりますよね。この時はさすがに、考えました。

――手術の結果はどうでしたか?

山田さん告知の日から最短のスケジュールで準備をしてもらい、1カ月半くらいで条件が整って手術ができました。幸い、「がんが腸の壁から出ていることもなく、非常にうまく手術できた、腫瘍は全部取れて、転移もない」という説明を受けました。それから1年ほどは、なにごともなく順調に過ごしました。

●手術は成功。しかし転移が

――その後、転移がみつかったのですね。

山田さん術後は定期的に検査を受けていたのですが、手術から約1年後の2005年7月頃から、腫瘍マーカーの値が上がり始めたんです。それでCT撮影をしてみたら、肝臓にわずかに転移しているのがみつかりました。すぐに手術ということになり、抗がん剤の服用も始めて、その年の11月に、肝臓の4分の1を切除する手術を受けました。その時はリンパ節などへの転移もみつからず、すぐ治るだろうと思われていたんですが、その後詳しく検査してみたら、リンパ節への転移と、肝臓の他の部分への転移がみつかりました。今度がんができたところには大きな血管があって手術はできない、余命2年と言われました。好きなものを食べて、お酒も飲みたいだけ飲んで、行きたいところへは全部行っておきなさい、と。同時に、リザーバー(薬を体内に入れるために皮膚の下に埋め込む器具)をつけて、全身に対する抗がん剤の治療も始めることになりました。

●「死んだ気で」食事療法*に挑戦

――転移がわかった時のお気持ちは、どんなものでしたか?

山田さんまあ、元来、前向きな性格なので、病気には負けないという気持ちはありましたが、抗がん剤の副作用の怖さを知っていましたから、全身の抗がん剤治療には抵抗がありました。そんな時、娘が食事療法の本を持ってきたんです。

奥様かなり進んだがんを克服された方が書かれた本で、玄米と野菜を中心にしたとても厳しい食事制限のある療法なんです。これが、大変なものでした。

山田さん食べてはいけない食材だらけなうえ、にんじんのジュースを1日1000cc飲む。にんじん12本分です。こんなもの、とてもじゃないけどやれん、と言ったら、娘が「3か月だけ、死ぬ気でやってちょうだい」と言ったんです。じゃあやってやろうじゃないかと、勢いで始めました。

奥様娘が、食事療法の食材をいろいろ調べて手に入れてくれて、毎晩、夕食を用意してくれたんです。結婚して近くに住んでいるので、毎晩通って食べました。

山田さん主治医の先生に「食事療法で治すので抗がん剤治療はやりたくない」と、今考えると随分生意気なことを言ったんです。そしたら先生に叱られましてね。ものすごく怒って、真っ赤な顔して、「そんなこと言うのなら、この病院をやめてしまえ!」「私は本気で怒っとるんだぞ!」と言われました。私も「こっちは命がかかっとるんだ!」と、思わず反論してしまいましたが、先生が「よし、じゃあ、あなたの食事療法も認める。だから、私の抗がん剤も認めなさい」と。両方の意見を取り入れて、私は食事療法を一生懸命やる、先生は抗がん剤治療を一生懸命やっていただけるということで、並行して治療をすることに決まったんです。2006年の3月に全身の抗がん剤治療をはじめ、翌4月に食事療法を開始しました。

――食事療法は、3か月続けられたんですか?

奥様それが、やめられなくなってしまいました(笑)。

山田さん3か月間まじめにやったら、やめられなくなりました。身体の調子がよくなったのが自覚できたので、やめたらもとに戻ってしまうのではないかと思って、怖くてやめられないわけです。今もずっと続けています。

奥様にんじんジュースは、今は家族全員、孫まで一緒に飲んでいます(笑)。

●副作用もなんのその

――抗がん剤治療の方はいかがでしたか?

山田さん食事療法を続けながら、2週間に1回、3日間薬をつけっぱなしで全身投与を行いました。かなり強い抗がん剤を使ったのですが、髪の毛は細くなったけれどもまったく抜けませんでした。周りの患者さんが副作用ですごく苦しんでいるのを見たり聞いたりして不安に思っていましたが、私はリザーバーに薬をつないだまま、ゴルフに行ってました。

奥様先生から、「髪の毛は一本もなくなります」と言われていたんです。なのに今は、白髪がむしろ黒くなってきたくらい。

山田さん副作用が出たのは、指先の感覚ですね。冷たいものや金属を触ると、静電気が起きたときのようなショックがくるから、指先がうまく使えない。それから、指先が割れて血が出て困ったこともありました。また、口内炎ができては治り、治ってはできというふうで、ずっと口の中が痛いのには閉口しました。

●命が助かるためなら、なんでもする

――治療はどれくらい続いたのですか?

山田さん3年近く続けました。食事療法の効果なのか、副作用が少なくて、それで耐えられたんだと思っています。新しい薬が出たよ、と先生がおっしゃられると、「じゃんじゃん使ってください」とお願いしました。下手な鉄砲じゃないけれど、数打ちゃ当たるってね(笑)。命が助かるためなら、私はなんでもする、という思いでした。

奥様他の民間療法**も、いいと思うものは何でもやりましたね。

山田さん継続は力なりなのか、そうしているうちに腫瘍マーカーの数値がぐんと下がって来ました。CTの写真を見ながら「あれ?リンパ節の腫瘍がなくなってるなあ」と、先生がおっしゃった。身体の調子もよくなって、これは治るんじゃないかと思って、抗がん剤治療を中断したら、数値がぐーんとハネ上がってしまい、これにはがっくりきました。
それでまた抗がん剤治療を再開して、別な薬に変更して少し数値が下がりました。その後、昨年(2008年)発売された新しい薬を使ってみたら、驚くほどぐぐーっと下がって、あっという間に正常値になりました。それをみて先生が「これなら手術ができるかもしれない」とおっしゃり、急遽、外科の先生に打診してくださった結果、手術できるということになりました。
それで2009年の3月に、また肝臓を切除する手術を受け、腫瘍を取り去ることに成功しました。今は数値もまったくの正常値で、転移も発見されていません。

●大喧嘩した先生も…

――とてもエネルギッシュに病気と闘ってこられたんですね。

山田さん病気に負けちゃおられん、と思ってましたからね。もともと私は、悪いことがあっても「ああ、これくらいでよかったなあ」とか、「この状況の中でベストを尽くそう」とか思うタイプ。それに陽気だからね。だから病気も寄りつかないんじゃないでしょうかね。

奥様ずっとこんな感じですからね。近所の人も会社の人も、みんな主人が病気だということを知りませんでした。私も一度も仕事を休まなかったですね。

山田さん好きなことやってると、病気を忘れちゃうからね。ゴルフの他にも、植木いじりとか、詩吟とか、家庭菜園とか…なんでもやりますよ、興味のあることは。自分が病気のこと忘れちゃうから、家族も私が病気だってこと、忘れちゃう(笑)。

――伺っていると、主治医の先生の情熱と、山田さんの情熱、そしてご家族の愛が合体した勝利のような気がします。

山田さん家族にはほんとに助けてもらいましたね。やっぱり、助けがなくてはできないですね、こんなことは。だから私は、がんになっても、世界一幸せな男だと思っています。病気にも負けていませんでしたからね。先生も「極めてまれなケースです」と言ってくださっています。初めは大喧嘩した先生ですが、今は懇意にさせていただいてます。

●弱い自分は、前向きな自分に

――でもやっぱり、落ち込まれることもあったのではないですか?

山田さん正直に言うと、最初の手術のときはやっぱり怖かったです。入院していると思いのほか時間があるものですから、だんだん迷いも出てくるし。そんなときは、本を読んだり、前向きなことを考えたりするようにしました。歌のようなものを手帳に書いたりもしましたよ。たとえば、近くに愛妻川という汚い川があるんですが、そこに鯉がいっぱい泳いでいるんですよ。それで「愛妻の濁りし川に生きる鯉 我も生賭け術台にのぼる」なんてね(笑)。まな板の上の鯉と自分、あとは恋する女房への気持ちもかけてね。

奥様今初めて聞いたわ(笑)

山田さん今初めて言ったな(笑)。変なことを考えるより、そういうことに頭を使ったほうがいいかなと思ってね。自分の弱い部分を、そういうことに費やせば、また違った道が拓けるかな、と思って。

●大切な物の見え方が変わった

――そうすると、「余命2年」と言われ、好きなことをしなさいと言われたことは、実行なさらなかったんですか?

山田さんぜんぜんやらなかったですね。患者仲間の中には、自暴自棄になって数百万円使って好きなことやった、なんて人もいましたけど…遊興費に使って心満たされるかといえば、そうじゃないと思うんですよ。
私は1分1秒、1時間が本当に大事だと思っています。ですから、生きるためのベストを尽くしたい。この前向きな姿勢のおかげで、なんとか治癒を手繰り寄せられたような気がするんですよ。
治った今も、「残された時間を大切にしたい」という気持ちは強くあります。小さなことですが、これまではイヤイヤやっていた毎日のお風呂掃除も、みんなに気持ち良く入浴してもらいたいと心をこめて責任もってやるようになりました。他にも、小さなことの積み重ねがたくさんあります。病気になって変わったことといったら、大切な物の見え方が変わったような気がすることかな。

●粘って粘って粘って

――同じ病気の方々へ、メッセージをお願いします。

山田さん私が言いたいのは、とにかく希望を捨てないで欲しいということです。
今、がんと闘っている患者さんの中には、抗がん剤治療で苦労して、くじけそうになっている人がたくさんおられるでしょうし、今後はもっと増えてくるだろうと思います。でも、とにかくプラス志向で、粘って粘って粘って、少しでも長生きしていれば、自分に合う新しい薬が開発され、治療できるかもしれない。だからその日が来るのを信じて、希望を捨てないで欲しいんです。 “自分に効く薬”がきっとあると信じて欲しいと思います。


*、** がん治療における食事療法や民間療法については、現在のところ科学的根拠に基づいた効果は確立されておりません。また、本サイトへの掲載は、ご協力いただいた患者様のインタビュー内容を忠実に反映させるためのものであり、上記療法を推奨するものではありません。